ロジカルシンキングを使ったコミュニケーション、いわゆるロジカル・コミュニケーションと聞くと、ついつい口頭のコミュニケーションが頭に思い浮かびます。そうではなく、文章面に絞ったロジカルシンキングが学べるのが、野矢茂樹先生のご著書、「論理トレーニング101題」です。ちなみに野矢先生は東京大学教養学部の助教授(執筆時点)。「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」などのご著書もお持ちの論理学の専門家です。アカデミックな世界からロジカルシンキングはどのように解説されるのでしょうか?

いきなりスタート、ロジカルシンキングテスト

本書は「序論」でいきなりチェックテストから始まります。ご家庭でオシッコをするとき、便器に座ってする男性が増えたことに対してのコメントの、どこが論理的におかしいのかを指摘しようというものです。

「清潔は病気だ」の著書がある東京医科歯科大学の藤田紘一郎教授(寄生虫学)も、座り派の増加について「清潔志向が行き過ぎてアンバランスになってしまっている」と指摘する。「出たばかりの小便は雑菌もほとんどいない。その意味では水と同じくらいきれいだ。なんで小便を毛嫌いするのか。ばい菌やにおいを退けすぎて、逆に生物としての人間本来の力を失いかけている一つの表れではないといいのですが

これに対して野矢先生は、「方向がばらばらである」との観点から指摘をしていて、曰く

主張の方向がこのようにばらばらになってしまっているということは、「論理の欠如」を示している

と。もしも上記の文章を読んで、その論理の欠如に気づかない方は、本書は要チェックかもしれません(詳しい回答は本書の2ページを)。

ロジカルシンキングが捗る7つの接続詞

もちろん単に人の文章を批判するだけでなく、 自分でロジカルな文章を書けるようになるための例題も満載です。たとえば、第1章の「接続表現に注意する」というパートでは、

付加、理由、例示、転換、解説、帰結、補足

という7つの接続詞を使うことが提言されています。しかも、ニュアンスにも注意を払うとより相手に伝わる表現が可能だとのこと。たとえば、下記、二つの接続詞の使い方を見てみましょう。

ミッキーは白い手ぶくろをつけている。

しかし、プルートーなど、擬人化されていない動物はつけていない。

と言う文章と、

ミッキーは白い手ぶくろをつけている。

ただし、プルートーなど、擬人化されていない動物はつけていない。

と言う文章。「しかし」と「ただし」の接続詞しか異なっていませんが、実は意味が変わってくるとのこと。

「ただし」の場合は、言いたいことはあくまでも「ミッキーは白い手ぶくろをつけている」という方にあり、「しかし」は逆に「プルートーなど、擬人化されていない動物はつけていない」の方にあるとのこと。たしかに、どちらに重点を置くかによって接続詞の選び方も変わってくるべきというのは納得です。

ビジネスとアカデミックで異なるロジカルシンキング

一方で、詳しい解説の割にはピンとこないところも本書には散見されました。たとえば、第3章「論証とはどのようなものか」にある、「推測」と「演繹」の違いの説明。

演繹:根拠とされる主張を認めたならば結論も必ず認めねばならないような決定的な力を期待されている導出

推測:ある事実をもとに、それを説明するような仮説を提案するタイプの導出

と言う前提で、事例を挙げてそれが演繹なのか推測なのかを当てるという演習がいくつか出てきます。たとえば94pには、

  1. 台所から今に濡れた跡が点々と続いている。うちの猫が流しで水遊びをしたに違いない。
  2. いつもワープロを使っていると漢字が書けなくなる。ワープロ派には「演繹」なんてまず書けない。君もワープロばかり使ってるって?じゃあ、どうだ、「えんえき」って書けるか?書けないだろう。

という文章が掲載されています。さあ、どちらが演繹でどちらが推測でしょうか。

答えは、1が推測、2が演繹。1はまあ、分かりますが、2は、もう一つピンときません。もちろん、

君は演繹という漢字が書けない
 ↑←いつもワープロを使っていると漢字が書けなくなる
君もワープロばかり使っている

と言う論理構造は分かります。上記の「いつもワープロを使っていると漢字が書けなくなる」が著者の言う「根拠とされる主張」であり、これが正しければ結論である「君は演繹という漢字が書けない」が「必ず認めねばならない」となるのでしょう。

ただ、そもそもの「いつもワープロを使っていると漢字が書けなくなる」という主張自体が曖昧(検証されていないし、「いつも」がどの程度の頻度を指しているか不明)であるがゆえに、この論理構造が見にくくなってしまっています。おそらく、初学者はこの例を読んでも混乱するだけでしょう。

もしくは、ビジネスの現場においては「結論も必ず認めねばならない」というような厳密な論理性は難しいものです。ビジネスにおいては、将来の予測などどうしても不確定な要素は残り、この意味ではロジカルシンキングでの「結論」は、結局はどこまで行っても仮説ということが多いものです。そして、様々な仮説の中で「どれがもっとも妥当か」を考えることがメインです。その意味では、推測と演繹の違いを考えるということは、あまり意味があることとは思えません。

ということは、本書を読むべき人は、じっくりと、しかも正しい情報にもとづいて論証をする必要があるアカデミックな世界の人なのかもしれません。

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